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261.自分のスピリットを100%プラスに表現することについて

今号では、自分のスピリットを100%プラスに表現することについて書いてみたいと思います。

自分のスピリットを100%プラスに表現することとは、より生き生きと生きられるようになることや自分の生まれて来た目的を達成したり実現することなどのことと非常に似通っていることで、自分のスピリットを100%プラスに表現出来るようになった時には完全な幸福も実現出来るようになりますが、そうすると(もう既に生き生きとしていらっしゃる方にとってはより)生き生きと生きられるようになれると思いますし、また生まれて来た目的を達成したり実現するということにも繋がって行くと思います。

そのように生き生きと生きられるようになることにも繋がっている自分のスピリットを100%プラスに表現することについて、心の中にある否定的な側面~例として鬼など~を克服し、出来なくする障害を無くすという視点から主に書いてみたいと思います。

§ 否定的な側面を克服するなどして自分のスピリットを100%プラスに表現することが関係性に及ぼすこと §

心の中に否定的な側面を持っている方というのは~現代の人の多くは多かれ少なかれ持っているとは思いますが~、それが賢明な人であれば、どのような形を取るにしても他者との間に何かしらの距離を置かれているようです。

心の中の否定的な側面というのは、他者とそして最終的にはということになるのかもしれませんが自分自身の幸福を阻害したり破壊したりしまたそうすることが出来るエネルギーを持っています。そのため賢明な方は(必要があってそうなさらない場合もあると思いますが)特に他者と関わる際には、自分の心の中に在る否定的な側面が表面化したりそれらが働き出して作用を及ぼすことになると良くないということから、ある程度無意識の内にかもしれませんが他者との間に何かしらの距離を置くということをなさっていらっしゃるようです。そういったことには、周りの方々もその方との間に不自然な距離が存在することに「何か(変わったことが)ある」といった風に見え、異変として察知されることが多いのではないかと思いますが、避けている側の方はただ災いが及ぶのを避けようとしているだけなのですけれども。

そのように賢明な方であっても対応する必要が出て来るようなマイナスの、否定的な側面を克服することが出来、また自分のスピリットを100%プラスに表現出来るようになった時には、他者との間に距離を置かざるを得なくなる虚しい状況というものも同時に無くなってしまいます。

自分のスピリットを100%プラスに表現出来なくさせている障害を無くすということには以下に書きますように実際面でも様々な効能がありますが、関係性へ及ぼすこのことだけを見ても、そうでない状況にある場合と比較すると世界が違っていると言えるような幸福をもたらすことであると思います。

(例えば)心の中に在る否定的な側面を克服するなどして自分のスピリットを100%プラスに表現出来るようになることが出来た時には、良くない意味で寂しいような関係性しか持てなかった人も、そう望んだ時にはみんなが満ち足りることの出来る関係性を実現し、構築することが出来るようにもなるものです。そうすると結果的により生き生きと生きられるようにもなりますね。

§ 自分のスピリットを100%プラスに表現出来るようになるための、心の中の否定的な側面~例えば心の中の鬼など~に直面することの効能 §

自分のスピリットを100%プラスに表現出来るようになることの素晴らしさについて続けて直接的に書くのも良いのですが、生き生きと生きることや生まれて来た目的を達成することにも繋がるような分かりやすいことでもあると思いますので、ここでは、どうすればそのようになれるのかといったこと、そうしようにも出来ないでいる方が抱えている障害を無くすことや障害を克服し解決することがどれほどの幸福をもたらすかといったことについて書いてみようと思います。

スペースラブのカウンセリングセッションでの、ある心の中に鬼が居る方のケースを最初の例として書かせていただきますと、そのクライアントさんご自身はあまり意識していらっしゃらなかった段階の時、心の中に鬼の姿が在るということに私がまず気づき、解決しなければならないことですよといったお話を事ある事にお話しするようにしましたが、当時クライアントさんご自身はその面をあまり意識なさっておられませんでしたので、あなたの潜在意識内には鬼が居てあなた自身と人生に幸福になれなくする影響力を持っているといった内容のお話をしていたように記憶していますが、そのクライアントさんも超感覚的知覚能力が開花していらっしゃる方ですので、ご自身の中に存在する鬼についても見るようになられて認め、意識もなさるようになられて行かれましたが、そうすると精神面や人間関係においてだけでなく体力面でも特にはっきりとした成果が現れることになりました。トレーニングを始めるなどの変わったことは何もしていらっしゃらないのに突然体力がついたかのように疲労しにくくなったというお話をなさっていらっしゃいましたが、体調が目に見えて明らかに良くなったとはっきり実感出来るくらいの変化が身体に生じたとのことでした。

そのクライアントさんにとって心の中の鬼の存在とその活動は他の面へも現れていたようでしたが、身体面へは疲労の程度が大きくなりがちであるといった現象としても現れていたようでしたので、カウンセリングセッションで意識出来るようにお話ししている内に、クライアントさんご自身も鬼の存在や活動が良いとは言えないものということを理解出来るほどの変容がまず起こりましたし、現在まだ鬼がすべて居なくなったというわけではないのですが、その存在感や活動が弱まったり変質したりして、結果的に身体面に明らかに良い影響を及ぼしています。このようにこの方のケースのように、自分の心の中の否定的な側面に直面することにはより生き生きと生きるための身体環境(の基礎)が作られるといった望ましい効果があったりしますし、また自分のスピリットを100%プラスに表現するのにも体力に恵まれていればそれだけより容易なことになります。

このクライアントさんのケースでは先ほど書きましたように心の中の鬼は完全に居なくなったわけではなく、鬼の存在による影響から人よりきつい口調になるというところがまだあるようですが、そのようにまだ残っている身体面以外での改善すべきと思われる事柄がある分野に関しましては今後の癒し、変容、ご成長が待たれるところと思いますが、他の方々のケースにも目を向けた時には、持っている否定的な側面の種類が異なる場合、様々に違って生じる事柄というものがあります。

ここのところ見たケースとしてですが、鬼の場合と少し違い鬼のように人格(といった仕組み、殻)を持つ類の存在ではなく、もっと抽象的で観念的な存在として”残酷さがある”というケースがあり、鬼のように厳しい感じを持つという点は共に共通しているようですが、異なる点として、鬼は熱さを持っているけれども残酷さがあるという場合はあまり熱は無く、彩りの視点から見ますと、例の方の中に居る鬼は在り方次第で着ている服のお色が変わるようですし~鬼であるのにいつも洋服を着ていらっしゃるのが見えますので~、嗜好や好ましいと思う感情、そして対象によっては愛情を持つこともあったりしますので、その活動には色彩を感じられるのに対し、残酷さの場合はそれが観念であるためでしょうか、動きなどにも色彩感があまり感じられないことが多いように思います。

賢明な方では他者との間に距離を持つようになるということについて書きましたが、心の中の否定的な側面の一つの在り方である鬼は、先ほども書きましたように他者の中にも好ましいと思う人や愛情を感じる対象を持ったりすることがありますので、基本的にどこか距離を置いている感じはやはり見られると思いますが、心の中に鬼が居る場合のその鬼をも含む本体のと言いますかご本人としては、他者との間に距離を置く場合とそうしない場合とに分かれるようです。このことには鬼にも様々な鬼がいるとは思いますが心の中に居るのがまだ鬼の範疇の存在なら、似た相手も居て仲間と共に歩むことがまだしも出来たり、鬼の存在感にも上手に対応出来る人がいるという現代の事情があると思われます。そのことと比較しますと、残酷さを持っている方の場合は押し並べて他者との間に距離を置かれるようで、これは残酷さに上手に対応出来る人が鬼のケースよりより少ないからという事情があるからなのではないかと思います。

心の中に残酷さという否定的な側面を持つ方は、反応的に残酷な感じのする対応を無意識の内になさるというところがあるようですし、鬼が人格を持ち、好意や愛情も持つことが出来るといった、一見は幸福になれるのではと思うような特徴を持っているにしても、残酷さを持っているケースと同じように鬼にも残酷な部分が見られるということがやはりあると思いますので、どちらのケースにおいてもその否定的な側面は克服し、問題を解決することが必要です。

それから、このことは自分のスピリットを100%プラスに表現出来なくする障害が解決されるということとはあまり関係の無いような遠い効果が生じたと言える例なのですが、子供が出来ないと嘆いていらした方の心の中に、自分のパートナーを完全には受け入れていないこと~この場合は問題と言って良いものだったと思いますが~が見えたことがありましたので、パートナーの方を受け入れるようにお話ししましたところ、1、2ヶ月の内だったと思いますがすぐにご懐妊なさったという例がこれまでにはありました。心の中にある否定的な側面に直面するということにはこのように強力な効果や成果が生じるということがやはりあります。

また心の中にある否定的な側面に直面することのただシンプルな効能として、先に書きましたように災いが及ぶのを予想することが出来るようになりますので~自分のスピリットを100%プラスに表現出来るようになるとそうする必要性が無くなりますのでそうなるまでのことと思いますが~他者や自分自身にも災いを及ぼす状況となることを可能な限り避けられるとか発生させなくするといった(否定的な側面をまだ持っているという状況を考えると致し方ないことであるとしても)優れていると言って良い効果も挙げられます。

§ 自分のスピリットを100%プラスに表現することの素晴らしさ §

最初の例の方のところにお話を戻しますが、そのクライアントさんの意見として「鬼がいたからこその成果も自分の人生にはあったと思う」とのこともあり、鬼の存在をすべて解消して良いかどうか迷われていた時期もあったようですが、自分のスピリットを100%プラスに表現出来るようになるために誕生して来ている中にあっては、鬼が駆り立てるように働きかけ、前進させることによって、例えば勉強をさせたり能力を磨かせるなどした結果何らかの利点や成果が生じることがあるというのは私もそう思います。最終到達地点に到る前の途中の段階ではすべてを洗練させることが出来ていませんし、否定的な側面からも何らかの利点や成果が生じるということは実際よく起きていることであると思います。

しかし否定的な側面からの活動は、それらのそもそもの源が美しく良いものと言い切れないものですので、そのクライアントさんの身体へも悪影響が少なからず及んでいたように存在のすべてを幸福な状態に出来るものではありませんし、また根源的なお話としましても、自分のスピリットを100%プラスに表現するという視点から見た時には、どの人もスピリットの中に鬼や鬼性のようなものは持ち合わせていないということもまた真実であり、そもそも鬼は完全にはプラスの働きをすることが出来ない存在ですのでいつかは無くさなければなりません。

遠隔ヒーリングの通常コースを現在受けていらっしゃる方の中にも「自分のスピリットを80%プラスに表現出来るようになりたい」という希望を持って受けていらっしゃる方がおられますが、その方も行く行くは100%プラスに表現することを視野に入れていらっしゃると思います。自分のスピリットを100%プラスに表現することは完全な幸福を実現するのと同じことですので、そちらの方向へ向かうということは人として大事なことであり必要なことであると思います。

それから、自分のスピリットを100%プラスに表現出来るようになるための方法についても書きますと、自我を高めて行くというものが一つとして挙げられます。

その自我を高めて行く方法では、どんどん改善されて自分のスピリットを100%プラスに表現出来るレベルへ近づいて行くことが出来るのですが、ある程度高い地点でのことと思いますが、自分が居る高い地点からは自分より下の地点に居る存在たちがはっきりと見えたり、下方に居る存在よりは見下ろせる位に上方に居られるようになったということを知れるようにもなるなどのことと、方法として高めて行く類の方法を使ってそうなるということから”傲慢になること”が常に可能性として存在します。傲慢になることには、居る地点から転落する末路がセットとして存在しますし、傲慢になった時には必ずそれこそ100%転落することになりますので、この方法で歩んで行く道には高めて行った結果傲慢にもなってしまい、いくらその地点が高い地点であってもそこから転落してしまう危険がついてまわります。ですのでこういった方法で自分のスピリットを100%プラスに表現出来るようになろうとする方は、その注意点を自覚なさり、そのようにならないよう警戒をしたり注意をするということが必要となります。

こういった自分のスピリットを100%プラスに表現しようとして自分を高めている道中で傲慢となり転落することについては、否定的な側面が働き出した時に転落するということがやはりあるものですので、転落ということに関しては同じ結果になりますね。ただ自分を高めて行って転落した時の方が、それらが上昇や改善の意図を持って行っているためにダメージはより大きそうに思いますけれども、、

そして、自分を高めて行くというこのような方法は西洋的な方法と言って良いと思いますが、東洋には、高めて行くことが一つの特徴として際立つような方法ではなくいろいろな方法や道があるようですが、自我(いわゆる自分とされているもの)をどのようにすべきかに関することでは、主流の理想的な在り方として自我は無くすべきものといった考え方があると思います。西洋では自我は改善すべきものですが東洋では無くすべきものなのでしょうね。慢心の源ともなる自我を無くせるということですので、東洋方式を使うと傲慢になるということがそもそも起こり得ないということになりますので、そういった点は注意をする必要が無くて良いですね。

最後に少し余談のようにもなりますが守護霊に関することで、守護霊の方々の活動はれっきとして目に見えますし、その姿形やお顔の表情までもが私には見えますが、いわゆる人間その他が持っているような一般的な心の形~自我に近いシステム~はそう言えば私のサードアイには映像としても映らないということに今号を書いている内に気づきました。

亡くなられた方々やまたそれだけでなく天使様や悪魔の方の~すべてを知りませんので”多くは”ということになるのかもしれませんが~人間が持っているような一般的な心の形は映像として私にも映りますので、肉体を持っているから自我があり、持っていないから自我も持っていないということではないと思いますけれども、こういったことが守護霊はその波動の高さから普通の人間の目には見えないと言われる所以なのかなと思います。人であれば普通持っている自我のようなシステムを持たない位とかもう持てなくなった位の方々が人間を守護する守護霊になれるということなのでしょうね。