今度の機会のこととしまして、地球の方々が非常に大きな進化を遂げられましたら、神々の方々のように状況の制御から支配へと繋がるようなことが行われます必要性もまた無くなられますように思われますことをお話しさせていただきます際に、現代の日本でよく拝見しますようになっています、ご自身のスピリットを70%位にプラスに表現出来ていらっしゃいます方々のお話をさせていただくつもりでおります所なのですけれども、そのようにして日本のことを考えていましたら、こちらでもお話しさせていただいて来ました、進化におけます東洋方式の”「自分を無くす」ことによって幸福になれる”という進化方法のいわば亜流の方式が日本では伝統的に使われているようで、「そのようなこともまた考え”無くす”る」という風となっておられますことに関しましては、これまであまりご説明して来ていないということに気づきましたので、本日はご説明させていただきたく思います。

 そのような日本の精神的な伝統に関しましてご説明させていただこうとしますと、それを最初に仰いましたのは中国の杜荀鶴という方だそうなのですけれども、日本の方々にもよく知れ渡っています”心頭を滅却すれば火もまた涼し”という諺がありますので、そのような諺がよく知られていますお話として存在していますお国のことですし、またよく現していますお話のように思いますので、その諺のお話をさせていただきますと良いように思いましたのでそのようにさせていただこうと思うのですけれども、まずは火はとても熱いものですので、何か魔法的なお話のようにも思われますようなお話と思ってしまいますような諺と思うのですけれども、精神によります錬金術のお話のような諺なのでしょうね。

 その精神によります錬金術のようなお話では、心頭とは雑念のことを指し示しているそうですけれども、それらはいわゆる自分自身(とされています分野)のことのようにも思います。そして、そのように(ご自分の)心で感じられますことも頭で考えますことも滅却なさるという方法におきましては、雑念と見なされますこととしましても現れることがあります自分自身というものを滅却することが出来ましたら、例えば熱い火などでありましても苦しみを与えるものとしてそのように感じられなくなれますよということは、お心でまたあるいはお心としまして感じられます自分自身や頭で考えます自分自身またあるいは自分自身が頭で考えますことを、それらが無くなる位になってしまわれましたら苦しみもまた無いものとなりますということと思うのですけれども、このように、進化なさいますための方法や幸福になられますための方法、あるいはまた苦しみを解決なさいますための方法としまして感じたり考えたりします自分自身を無くすという方法が日本にはあるようですね。

 そしてそれで、心や頭というものはそこに浮かんで来ます雑念も含めまして自分自身のものと思いますけれども、つまりは、お心(で感じられます自分自身)や(自分自身のお考えとしまして様々なことを考えられましたり検討などをなさいます)頭を滅却なさるということが優れた方法としまして認められて来られましたような国として日本はいらっしゃるようですけれど、本日お話しさせていただいております諺におきましても、無くされますのは心頭ということですので、無くされますのは自分自身の一部分ということとなるように思いますけれども、そのようにやはり、、というようにしまして、当たり前のこととは思うのですけれども日本でも東洋方式が使われて来ていらっしゃるようです。

 ただ、東洋におけます進化なさいます(幸福になられます)ための方式の主流の方法は、同じく自分自身のことでありましても、無くすべきであるのは心頭のみになっているようないわゆる小さな範囲を指し示す方法ではなく、主に雑念に繋がります方のでしょうか、自分自身の全てを無くすというような内容の方法と思いますので、日本ではそのような東洋地域におけます主流の方法をそのままにして使われてはいないということがやはり言えるように思います。全てと一部では違うことと思いますし、結果としましても違って来ますような部分もこれまでにも生じていらしたこととも思います。

 お話が東洋におけます幸福になられますための方法の方へも進んでしまいましたので、また本題の方へ戻させていただきますと、本日お話しさせていただきましたような生き方や在り方がここ日本で認められて来られたということからは、感じられます類の事柄も含めまして考える自分自身または自分自身が考え出すことを全く無きものとなさるという内容の精神的な伝統が存在していますことが見えて来るように思います。本日はこれでより読者の皆様にもそのことを分かっていただけますようにご説明することが出来たのでは、、と思っております。

 ここからは余談となりますお話となるのですけれども、インターネットの故事ことわざ辞典のページには本日お話しさせていただきました「心頭を、、」という諺についてを、どのような苦痛でありましても心の持ち方次第でしのげるという教えという風に書かれていらっしゃいましたけれども、このこともまた以前お話しさせていただいたことがありましたことですけれど、西洋と東洋では苦しみの前提の有無に関しましては随分違っているということを、それにしましても、、という風にこの度にはまた思い出されておりました。

 日本の「心頭を、、」の諺では(も)やはり、、というように、苦しみは当然のように無きものとなさるということとなっておられますことに対しまして、西洋方式では、自分自身の幸福に必要な事柄を全てという風に獲得なさりながら進化なさいますわけなのですけれども、幸福となられますのに必要な事柄を100%獲得して自分自身の身にお付けになれますまでは、そのようないわば未発達な存在に苦しい出来事が生じますのは当然のこととされますし~正にやはりその通りなのですものね~、そのことは失敗なさいました時の再起のための試みが支援なされやすいような社会が形成されますことにも繋がっているように思うのですけれども、そして、またそのようなことは今回選ばせていただきました画像のように、厳しさもまた存在していますような、例えば地球に在ります季節のことで言ってみましたら真冬という環境の中での出来事・経験でのことのように思います。そのような苦しみも感じられますような時期には、このこともまた今回の画像に映っていますような例えば甘かったり暖かったりします事柄をお取り入れになるなどなさりながら養われ、そしてまた努力をなさって行かれましたり生きて行かれましたら良いということでは、、という風に思うなどもしました。

 ここの所の日本では、東京などでも積雪があるなどしまして随分寒くなってもいらっしゃるようですね。ですので読者の皆様も、そのような寒さなどにもくれぐれもお気をおつけになられまして、どうぞお健やかな日々をお過ごし下さいますように。