未分類

258.日本が最善の第二次世界大戦の後処理を行うためには

§ 健やかに生きる方法~歪みを無意識へ持ち込まないようにする~ §

起きたことをきちんと消化して理解したり、必要なことを充分に癒したりすることなく(そうすることが単に出来なかった場合も含めて)統合され得なかった感情や物事は、その人の中~生命エネルギーの中と言っても良いです~に歪みとなって残ります。そしてその歪みは、他のパターンもあると思いますが例えば歪みを持っている状態に慣れてしまうなどしてしばらく残していると無意識へ落ちて行き、それが病気の原因になったりします。

心理学だったと思いますが以前読んだ本に、心の問題が身体の症状として出て罹患する病気の心身症は実は深刻な病気であると書かれてありましたが、このことは、その先生の見方かもしれませんがそれでではないかと思います。(心の)歪みが無意識の中に落ちてしまうとその場での早急な解決が困難にもなり、またすべてを掘り起こして紆余曲折を経、統合するところにまで至るのにはなかなか苦労の多い道のりになると思うからです。無意識の中へ落ちてしまった内容はご本人にもなかなか分からなくなってしまいますので、歪みが落ちてしまうと解決は大抵非常に後になる~何度も転生する必要性まで生じるなどして~と思いますし、これでは一旦は病気に罹るとか何度か病気に罹ることや、ひどい時にはそこから他の病気が派生してしまうといった将来を宣告されたのと同じことになりますものね。

精神世界では、今ここにいることが大事で、そうしていると病気にもならず、また少し罹っても深刻な状態にはならないと言われますが、今ここにいる人であれば、どの人にも備わっている健康を保つためのセンサーの働きをキャッチして必要な対処を行いますし、消化せず統合しなかったために病気になることも無いと確かに思います。

また、この今ここにいるという在り方には超感覚的知覚によるところも含まれるそうですが、私の知る限りでは例えば相手があることの場合、その相手などが実は地球以外の天体などにも繋がっていて、そこまで超感覚的知覚を使って知るということほどには大抵はしなくても良いようです。普通の範囲内で超感覚的知覚も使っていれば統合しなかったが故の病気は避けられると思います。

§ 日本が最善の第二次世界大戦の後処理を行うに当たって §

このように健やかに生きるためにも無意識へ歪みを落とさないようにすることが大事になって来るのですが、昨年末にブログに書いたことがありますように一つの団体ともなると集合的無意識を持ち、日本の集合的無意識の中には第二次世界大戦時の沖縄戦による傷があるとも書きましたが、先日集団的自衛権の行使容認が閣議決定された際の内閣法制局の日本国憲法第九条の解釈を変更するプロセスが不透明になっているとの記事を読みましたが、日本も今までのように集合的無意識にそういった傷を残したままで物事を進めようとしたりましてやまだ未処理となっている事柄の後処理を行おうとすると、先ほど書きました無意識に落ちた歪みと似たような結果となりますので、間違いや損害が生じる可能性が今はまだあります。日本国憲法の最初の草案が沖縄戦で負けた相手の連合国軍の監督の下で作られたものであることもあって、憲法の解釈を変更する時や内容を変更する時の間違いを避けたり、何らかの損害が生じるのを最小限にとどめるためには、沖縄戦で負けたことによって出来た傷を完全に癒すということが必要です。

ちなみに日本の憲法はこれまで一度も改正されなかったそうですが、沖縄での敗戦による傷がまだ痛みを生じているなどして後にも書きますように無力感が生じて出来なかったのではないかとも思いますね。必要な改正がもしもそれで出来ていないとしたならまずは大変なことですね。

それから、日本にとっての第二次世界大戦の沖縄での敗戦によって出来た集合的無意識内にある傷による具体的な現象例としては、日本人女性が欧米の男性に弱いといったことが言われているところが挙げられます~傷とそれが起こす流れがかすらないためにそうならない女性もまた多いとは思います~。沖縄戦では米国と英国を中心とする連合軍に負けたそうなのですが、その時に出来た傷が日本の集合的無意識にはあり、それがあってのそういった現象ということなのですが、それについて思うと軽く嘔吐感を感じもしますが、こういった風に集合的無意識内にある事柄から発生する出来事や現象というものが実際にありますし、集合的無意識には日本人ならではの定番と言えるものももちろん在ります。沖縄での敗戦による日本人女性のそういった方向への行動は前世紀の出来事からですので新規の類の影響であり流れなのですが、最近になってのこととは言えある程度の数の日本人女性を行動づけられるほどのことといった事実からは、沖縄での敗戦による傷を癒すとかえって日本もそこからまたいろいろな面がより幸福な方向へと変わって行くのではないかと期待出来るというものです。

このように日本の集合的無意識内の沖縄での敗戦による傷を癒せない間は日本国憲法を改正する時だけでなく戦後の処理や現象にも間違いや損害が生じる怖れがありますので、そのことを国民がもっと理解し、まだ統合出来ていないところはさらに消化して統合することが大事ということなのですが、そういった点から見て実際の戦闘を行った日本人男性のこととしては、戦勝国とはまた違った荒廃を持つようになったでしょうし、憲法を改正出来なくもなるほどに無力感やそれに似た考えや感情を持つようにもなったと思いますが、敗戦後も世界各国との接触を怠らずにさらされてきていますので、個人的にはそれぞれに癒して来ていらっしゃるように見えます。そのため日本人女性が欧米の男性に弱いといった強烈な印象もあるような現象が生じるほどには集合的無意識内の傷とそこから生じる流れに突き動かされている感じは無いと思いますが、前世紀は欧米主導の時代でありその時の戦争のことは所詮は他者の土俵で取らざるを得なかったことでしたので、そういったことをもっと認めたり、淡々とした姿勢で後処理を行ったりすると最善の結果が生じるのではないかと思います。

また、日本にはまだこのように癒すべきことが残っているため、内閣法制局の憲法解釈の変更を容認するプロセスが不透明になっているということは良くないことではあると思いますが、現在ではまだそういった出来事が相応しいようにも思えるといった状況にあると思います。まだ集合的無意識にある傷から行動する女性が目に付くほどの状況にある日本でのことですので、そういった流れに今はまだなってしまうというのも致し方ないようにも思えます。

相手国に甚大な被害を与えたけれども結局は力尽きて負けてしまったというのが日本にとっての沖縄戦の最終的な結果だったそうなのですが、そのようにして負けたことででしょうか、こんな風に傷として残ったりするということがあると思い知らされるような気がしていますが、集合的無意識を含め無意識の中にあることは、人々を無意識の内にある一定の行動へ走らせ、流れを決定づけられるほどの影響力や決定力を持っています。国の集合的無意識クラスのことですと定番の現象となることなら相当数の人へ影響しているということになりますが、先ほど書きましたような日本人女性の行動程度の現象であれば、かする人にだけ決定的な影響力を及ぼすものであるということになります。

また国の集合的無意識の場合、その影響や行使力が及ぶ分野を意識的に選択したり範囲を限定したりすることが出来ますし、一つの分野を全く避けるということも可能です。避けると、伴って生じるはずの否定的な影響も無くすことが出来たりしますが、国と同じく一つの団体である県についてでは、日本の県はそれぞれに異なる課題やテーマを持っていて、各県の課題やテーマには国の集合的無意識の時とは違い、積極的に真摯に取り組むほどその人個人に実りとなって成果が返って来ますし、より豊かに幸福となりますので以下に少し書いてみたいと思います。

§ 日本の各県の取り組みについて §

静岡県は、格差のお話になって申し訳ないのですが日本の県にも格差が存在していて、その中でも日本の第一地区ではなく第二地区に入る県と思います。ただしその第二地区の中では第一番目に来るような県と思われますので、そういった意味での自信も感じられる県と思います。

県のテーマは、門をくぐり抜けることによって(より)幸福となり満たされるというもので、様々な門をくぐり抜けて幸福になるといったテーマを日本では担当しているようです。県の形も門のような形状をしていますが、(より)幸福になろうとするならまだ通っていない門をくぐらなければならないし、またそうすることによって必要としていたり大事なことを獲得したり創造することが出来ますので、これからは一つだけではないと思いますが様々な門をくぐり通って行かれた先に、第一地区に入る可能性も開けて来ることと思います。これまでのところでは門をくぐり抜けなかったから第二地区にいると言えると思いますので、門をくぐり抜けるかどうかが幸福の鍵となります。

日本ではどうやら一つの県(民)が獲得し創造した成果は他県にも行き渡るようですので~半ば無意識的にそうなるようですので、もっと意識的に行き渡らせようといった風になった方が良いのではないかと思いますが~、静岡県が完全に行えた時にはそれが日本の叡智ともなりますし、一つ上のレベルへ上がる方法や一番目になるための方法とそうなるということはどういうことなのか~例えばどれほど幸福になるのかなど~を日本の多くの人々が知れるということになります。

もう一つは北の方の県、北海道について書いてみようと思いますが、そのテーマは自然とのより良く幸福な共存というものです。この北海道は最近になってもう駄目ということになってしまった道(県)なのですが、自然との共存がテーマとなっているだけにありのままの自然体で生きるという意向が強く働き過ぎ、道として幸福な道(県)とひいては日本を作ることには失敗しています。この結果が出る前の途中の時点では、TPPの時にもどうしようかどうしようかとなさっていたりしましたが、まだ完全には道としての過程が完了していないかもしれませんがもう十中八九駄目と思いますし、おそらくもう駄目になっていると言って良いと思います。

現在の北海道はもうエネルギー的にも弱くなっておられ、より良く変容し成長することについてもそれが駄目となると隙が生じやすくなりますので、ロシアとの北方領土問題の行方が心配されるところとなりました。ロシアから(北海道に最も近い)北方領土を返還されない可能性が以前より高くなっていますので、日本もより注意することが必要でしょうし、北海道もこれからは北海道民と日本のためにも出来るだけのことをしようということで踏ん張って行かれるということが重要と思います。

このようにして国の集合的無意識のことと日本の各県の取り組みを同時に書いてみますと、県のテーマについては、無意識内の傷というより生命エネルギーに存在する個々の信念に関わる事柄に取り組む必要があるということの方が目立って見えますね。また変容や成長への挑戦とも取れるような、変われるかどうかを試されているかのようにも感じられます。

このように日本でも県それぞれに頑張っている現代ですが、区分けの時代のことですので、北海道はもう挽回出来ず、成功している他県のようになれる可能性はとりあえず一旦は無くなってしまいましたが、このように駄目になるということが実際には起こり得ますので、他県の人々はそうならないように変容したり成長して行くということが大事なことです。